幼少期の愛情不足は、子供の脳の成長に様々な影響を及ぼすと言われており、その深刻な影響は大人になってもずっと続いていくようです。
虐待やネグレクトなど、悲しい事件が多いですが、どこからが愛情不足なのでしょうか?
なかなか線引きが難しい愛情不足の問題と、愛情不足が引き起こす子供の脳への影響についてご紹介します。
子供が愛情不足になるって、どういうこと?
日ごろからとても可愛がっているはずの我が子ですが、世の中には親からの愛情不足が原因で、脳に悪影響を与えられてしまう悲しいケースもあります。
では、どんなことがあると愛情不足に感じてしまうのでしょうか。
子供はいつも、無限大の愛を求めてくるものですよね。言ってみれば、自分のすべてを受け入れてほしい、といった感じでしょうか。ですが、すべてを受け入れることは難しいですよね。
例えば、悪いことをすればきちんと叱らなくてはいけませんし、わがままのすべては聞いてあげられません。
ところが、子供が求めている「愛情」は、そういったこととは少し違うようです。これは、某精神科医からうかがったお話しです。
子供の存在のすべてを受け入れること、それが愛情
子供は、いつでも、見て見て!聞いて聞いて!と親に寄ってきますよね。
このように、子供が自ら親に寄っていくときに、まさにそこに子供の「愛してほしい、認めてほしい」が隠されているのだそうです。
ところが、私たち大人は忙しいので、子供の要求すべてに応えることは不可能に近いですよね。
そんなときに、「またあとでね」「今は忙しからあとでね」という対応になることが多いと思います。私も自分の子供にはそういう場面が多いように思います。
ところが、子供にとっては、この「あとでね」が、必ず来るものだと思うのだそうです。
そして、いつ来るのかな、とずっと待っているのだとか。それなのに、「あとでね」は、ずっと来ない、または、親の方が忘れてしまっていたりすると、子供の中にある不信感が生まれると言います。
その不信感こそが、「自分は大して愛されていないのではないか」というものなのだそうです。ドキッとしてしまいますよね。
そして、この不信感は、「あとでね」「また明日ね」「今は無理」・・・などが続くたびに膨らんでいき、そのうちに、子供の頭の中で変化するのだそうです。
どう変化するのかと言うと、「自分は必要とされない人間なんだ」という状態に変化してしまうのだそうです。
そんなことは全くないのですが、子供にしてみれば、「見て見て!」「聞いて!」という訴えは、親にぜひ見てほしい、聞いてほしい、という大切なことなのに、それを毎回、「あとでね」と言われ続ければ、どう感じるかを考えると、非常に納得ですよね。
このような事態にならないためには、「あとでね」を言ったのなら、必ずあとで約束は果たしてあげること、だそうです。
そして、精神科医いわく、そういったことの積み重ねが、イコール、「子供の存在のすべてを受け入れる」ことに繋がるのだそうです。
つまり、愛情不足の大きな要因として、「子供の話を聞いてあげない」ということが挙げられるようですね。
忙しいから、はいつも通じるわけではない
共働きなどで常に忙しいパパ、ママにとって、忙しいからなかなか子供の相手ができない、という悩みがあると思います。私にもありますが、どんな人間でも、ずーっと忙しいわけではないんですよね。
つまり、自分がやっと忙しさから解放されれば、親だって多少のやりたいことはあります。ですが、そんなときに限って、子供が寄ってきたりしませんか?
これは、子供はよく親の観察をしているからなのだそうです。
いつくらいならパパ、ママが暇になりそうかな、ということを、親の雰囲気や言動で察しているようなのです。そして、やっと時間が空いたみたいだから、と親に寄っていくと、今度はまさに「親の都合」で、「忙しからあとでね」と、言われてしまうわけなんですね。
じゃあ、いつならいいの?って、大人でも思いますよね。
こういうことの積み重ねも、子供に不信感を抱かせる原因になるようです。ですから、せめて、「忙しいからあとで」は、本当に忙しいとき以外は使いたくないですね。
スマホばっかりいじっていませんか?実は最悪かも・・・
わたしはあるときから、子供の前ではなるべくスマホを触らないようにしました。と言うのも、苦い原因があるからです。
ちょうど、あちこちからラインやメールが来ていて、打ち返すのに忙しかったんですね。そんなときに限って、子供が、「ねえねえ~」と、寄ってくるわけです。
もちろん、無視はできませんから、わたしはスマホの画面を見ながら、「なに?」と返事をしていました。
その間に子供は、身振り手振りを使って一生懸命お話しをしてくれていたのですが、わたしは子供を見ずに、適当に返事をしていました。
すると、ふいに、子供が去っていっっちゃったのです。あれっ?と思ったのですが、そのときはあまり気にせずにいました。
ところが寝かせるときになってから、子供から衝撃的な発言が。
まだ4歳の息子が、「ママは僕よりもスマホのほうが好き?おもしろいの?」と言われてしまったのです。時間が見たかったので、そのときもスマホは手に持っていましたが、思わず放り投げてしまいましたね。
「そんなことあるわけないよ」と、言いましたが、子供からすれば、明らかにそう見えていたのですから、これは反省しなくては、と思いました。
そんなわけで、子供の前ではなるべくスマホをいじったりすることはやめましたが、子供の信頼を取り戻すのに、けっこう時間がかかったように思います。
何しろ、子供はスマホがわたしの大事なものだと認識しているので、置いておいても、「はい」と手渡されてしまうのですね。悪意はなく、子供は親のためにやっているのです。
これには、正直、グサッときました。よっぽどわたしは子供の前でスマホをいじっていたのだな、と本気で反省しました。
このような例もあるので、今はスマホの全盛期ですが、せめて子供の前ではあまりいじらないほうがいいのかもしれませんね。僕はスマホに負けた、なんて思わせたくないですからね。
幼児期の愛情不足が脳に与える影響と、自己肯定感とは
ここで、わたし個人の話しをひとつしたいと思います。
わたしは、幼いころから、かなりしっかりした子だったようです。と、自分で言うのもなんですが、あまり親に対して色々と要求をする子ではなかったのです。
その背景には、わたしの育った家庭が、いわゆる「機能不全家庭」だったことが大きく影響していて、母はつねに忙しく、父は家庭をほとんど顧みないタイプの人で、母はほとんどすべてにおいて父の言いなりでした。
こうなると、母は本当に忙しくなってしまい、まだ小さい弟たちのことでいっぱいいっぱいでしたから、わたしは必然的に、自分のことは自分でなんでも解決する、いわゆる「いい子」になっていったのです。
ところが、小さい時期に親にほとんど甘えられなかったことが、あとになって「自己肯定感の低さ」という形で影響してきてしまったのですね。
とにかく自分に自信がない、どんなに人から褒められてもいまいちピンと来ないといった、非常に自分の価値を低く見積もる子供になっていってしまったのです。
こういう状態は、大人になってからもしばらく続き、とてもしんどい思いをしたのですが、自分の自己肯定感の低さに気が付いたのは、大人になってからでした。
こういった経緯もあり、先に書いたように精神科医さんとお話しする機会もよくあったのですが、一度植え付けられてしまった「自己肯定感の低さ」というのは、自分のすべてに影響してくるので、自分のことをちゃんと自分で認められるようになるまで、とても時間がかかったのです。
もちろん、親に全く愛情がなかったわけではないのですが、ともすると子供は、親があまりにも忙しかったりすると、一種の愛情不足に陥っていくこともあります。
そんなわたしが親として気が付いてもらいたいとこのポイントは、
- 子供がまだ小さいのにあんまり手がかからないいい子、になっていないか
- 他の兄弟のことで忙しく、また、仕事が忙しすぎないか
- 子供に、向き合ってきちんと話を聞いてあげる時間を作っているか
といったことがあります。
子供はかなり我慢強いので、気が付いたときにはときすでに遅し、ということが多いものです。
ですから、大人になってからも、むしろ大人になってから影響が出てくると考えると、子供の小さいうちに、なるべく子供の話を聞いてあげる時間をたくさん作ってあげたいものです。
わたしも、自分が辛かった体験を生かして、なるべくたくさん子供との時間を作るように、日々心がけています。
まとめ
特に子供を大切に思っていないわけではなくても、子供というのは親をよく観察しているので、思わぬところから、愛情不足になるようです。
親としてできることは、常に子供との触れ合い、子供の話を聞いてあげられているのか、いつも後回しにしていないか?
といったことを考えて、最近忙しくておざなりになっているようなときには、子供とまるまる一日たっぷり遊んであげたり、どんな些細なお話しでもちゃんと目を見て聞いてあげたり、といったことが、子供が愛情不足に陥らないための最も大切なことと言えるのではないでしょうか。
愛情不足は子供が大人になってからも脳に影響を及ぼし、自信のない大人にしてしまうこともあるので、子供が小さいうちは特に、気をつけてあげたいですね。